【訃報】ニチコン坂本幸隆 執行役員常務:太陽光発電の『心臓部』 分散設置、蓄電ハイブリッド型、V2Hなどパワコン市場拡大に貢献
太陽光発電の『心臓部』と言われるパワーコンディショナ(PCS)。発電した直流を交流に変換するなど太陽電池パネル必須の相棒として機能する。伸長する蓄電市場に於いてもまた然り。その礎の形成と市場拡大に貢献したニチコン坂本幸隆執行役員常務が旅立った。享年65歳。お通夜と告別式は6月21・22日に家族葬で見送られた。駆けつけた業界関係者は「まだ早い」と別れを偲んだ。
普及拡大前夜。90年代後半。トランス・電源開発で知られた田淵電機(現・ダイヤゼブラ電機)の実務トップとして坂本氏は指揮を執っていた。「要求が高く苦戦した」とはいえ半世紀以上培った創業技術を活かし大手太陽電池メーカーが展開する住宅用太陽光発電システムのパワコンを開発。OEM・ODM供給を通し普及への道を拓いた。
拡大期。2012年から固定価格買取制度がスタート。低圧50kW未満やメガソーラーの開発が相次ぐと、一括集中型ではなく複数台を組み合わせる分散設置型を提唱。絶縁トランス、屋外型、マルチストリング方式など心臓部の機能を充実させ、競合各社と鎬を削るも業界全体としての視野を広げた。「エネルギーの未来を照らす」という意味を込めた自社ブランド『EneTelus(エネテラス)』シリーズも打ち出し、裏方からの脱却をめざした。
余剰買取価格の契約満了を迎える2019年問題。卒FITユーザーの大量発生。太陽光発電で創った電気を貯めて使う自家消費時代の到来を見越し、蓄電ハイブリッド型を打ち出したかと思えば家とクルマをつなぐV2H(Vehicle to Home)を企画。小型風力発電、燃料電池への技術的な応用を模索するなどアイデアマンだった。
繊細な営業スタイルは年間1万棟規模の大手ZEHビルダーや自動車メーカーへのパイプ役も務めた。
「蓄電・パワコン市場にサカモト在り」と業界に名を馳せ執行役員、取締役と出世街道を歩むも、在庫が足りないなど問題が発生すれば自ら現場に駆けつけ対応した。相手が若手だからと無下に扱うことはせず、時に厳しくもヒトとの繋がりや情に熱かった。
ダイヤモンド電機による田淵電機の買収・合併劇を経て、ニチコンへ転籍した後も同社の人材育成や調達・開発体制の強化、業界の後人となる若手育成に注力した。
取引先の人となり。饗す為の会食リスト。嗜みとしていた日本酒の産地や原料といった精緻な記録。達筆な字でギッシリ詰まった秘密のメモ帳には、その気遣いと人物像が滲んでいた。定期的に関係者を集め「日本酒の会」と称する交流会を開催。「私は歩くミュージックボックス」と場を和ませた。指南書と評していた『島耕作』を地で行くような昭和気質の人物像と笑顔が追憶に浮かぶ。
紛れもなく業界を駆け抜けた。その功績と魂は次世代へと紡がれる。坂本氏の冥福を祈る。