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【論考】黎明期から50年を経て。どこへゆく太陽電池産業:すべての始まり『サンシャイン計画』と先人達が描いた未来

2025.02.12

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太陽光発電産業はどこへ向かっているのか―。本稿では業界におけるいくつかの歴史的なトピックを紡ぎ今、何が起こっているのかを考察したい。黎明期から50年を経て。すべての始まり『サンシャイン計画』と先人達が描いた未来を辿る。

太陽光発電業界の黎明期。それは今から遡ること50年前。1973年のオイルショックを契機とする『サンシャイン計画』(1974年)から始まる。石油依存からの脱却を図るため通商産業省(現・経済産業省)工業技術院での国家プロジェクトだった。

『油断!』の著者である堺屋太一氏が同計画の担当研究開発官として深く関与したことで知られる。著書では「1年間、石油輸入が滞った場合、日本の経済と社会はどうなるのか」というテーマを描いているが先見の明は現代へと続く。

同計画は太陽光発電を含む太陽エネルギー、地熱、石炭、水素、風力、海洋温度差、バイオマスなどを重点項目として定め2000年まで続いた。予算総額は約5000億円に上る。この間に国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が設立され、並行して省エネを中心とするムーンライト計画、ニューサンシャイン計画など産官学民の連携で、太陽光発電の開発は進められていった。

NEDOサンシャイン計画40周年記念イベントの折に堺屋氏は策定当時を振り返り「時代は昇り調子、誰もがエネルギー需要の増加を信じ、技術と設備の巨大化を信じていた。核融合はそんな時代精神にぴったりだった」ことから「(対象的な)サンシャイン計画はゴミみたいなものといわれていた」と話す。一方で「時代は巡り人類文明は大きく変化した。世の中は多極分散に向かっている。環境にやさしい発送電こそ人類の未来」「誰にも奪われることのない安全なエネルギー、それが再生可能エネルギーである」と指摘していた。政治や政策云々というよりも如何にあるべきか。

当時の太陽電池は結晶シリコン系が主流で原材料が高く1Wあたり数万円と高価なものだった。変換効率も数%程度。家電を中心とする太陽電池メーカーは赤字を出しながらも開発を続けた。計画では2000年までに100分の1のコストにすることを目標とした。そのため「苦肉の策」と言われているが、電源用ではなく応用例として、生産量を少しでも拡大するため電卓や時計に実装され、大ヒットになった。

時代は前後するが1975年には京セラ、松下電器産業(現:パナソニック)、シャープなどが「ジャパン・ソーラー・エナジー(JSEC)」で合従連衡。1987年には京セラの稲盛和夫氏が有志10社1団体の発起人を集め太陽光発電懇話会(現:太陽光発電協会)を設立するなど、太陽光発電はビジネスと言う名の競争を超えて偉人たちを動かしてきた。ただ、それでも基幹電力としてはまだ弱かった。

普及拡大の転機は90年代。オゾン層の破壊、酸性雨など地球環境問題がクローズアップされ、太陽光発電が再び脚光を浴びた時代性だった。技術的にも結晶系モジュールの変換効率は10%を超えた。それまで電力会社への系統連系が認められなかった太陽電池も先の緩やかな共創体制により丁丁発止することで開放されたという。

ここから時代は変わる。1992年のことだった。我が国の歴史上、個人住宅で初めて逆潮流ありの系統連系を桑野幸徳氏(元・山洋電機代表取締役社長/太陽光発電技術研究組合名誉顧問)が実現した。研究者でもある桑野氏は実証に先立ち私財を投じ自宅に設置することで市場拡大の礎を築いた。つくって、使い、余った電気は売る、この第一歩が余剰電力買取制度の原点となった。実現していなければ現在の市場は無かったかもしれない。

※「歴史上」としているのは同時多発的に記録されていない事例があるとの証言があり、実際には多くの有志が太陽光発電の可能性を確信し自宅等へ設置を試みていた。

もう一つストーリーがある。なぜ、系統連系だったのか。無論、基幹電力をめざして開発されてきたから当然の流れではある。ただ、これには諸説あり、太陽光発電システムの初期構想は蓄電池と一体化したものだったと言われている。とはいえ、当時の蓄電池コストも高額であったため「系統を大きな蓄電池」と見做すことで太陽光発電システムを一時的に完成させた、という回想が数多ある。加えて、太陽熱や給湯器と組み合わせる、壁面に設置する、カーポートに搭載するなどのアイデアが既に存在していたという。令和。自家消費時代に突入した現在。遂に太陽光発電システムの理想形は完成に近づいた。

日本初の住宅用系統連系から2年後の1994年。業界の働きかけにより住宅用太陽光発電に導入補助金が創設され、成長期に突入していった。流通という意味では先行する太陽熱温水器の販売事業者等が熱から光に流れたのも大きかったかもしれない。「奇跡の商材」と表現したヒトもいたが正にその通りだろう。

ちなみにこの『桑野太陽光発電所』はケーブルの取り換えなど劣化した部材のメンテナンスを除き2024年まで30年以上稼働した。パワコンは壊れていない。昔の方が耐久性能が良かったかもしれないという説もあるがギネス記録並みであることは確かである。累計総発電量は45MWh以上と記録されている。現在の発電効率と出力を加味すると倍以上は見込める計算になる。「半永久的に稼働する」という太陽光発電の真髄を先駆者が自ら証明した功績は偉業と言える。

サンシャイン計画からここまで20年余り。太陽光発電はまさに先人の知恵と工夫、そして情熱の結晶として生きながらえてきた技術であったのではなかろうか。

そして50年を経た今。業界はどこへ向かうのか。礎を築いてきたひとり桑野氏は1989年に『GENESIS:Global Energy Network Equipped with Solar Cells and International Superconductor Grids』計画という国際論文を発表している。「家庭の屋根、ビルの屋上、工場の屋根等に設置し、世界の砂漠の僅か4%程度に相当する面積に太陽電池を敷き詰めれば全人類のエネルギーが賄える」との壮大な構想で、余った電気で海水等を水素に改質することまで想定されていた。

果たして、業界はどの座標にいるのだろうか。決して遠のいてはいない。確実に近づきつつはあるのだろう。先人たちの眼差し。
それは再考に値すべき事実であり、小説より奇(貴)なのかもしれない。

〔参考〕
NEDOサンシャイン計画40周年 特別号
サンシャイン計画 50周年記念 特設サイト
世界に先駆けた日本の再生可能エネルギー開発 サンシャイン計画50年を振り返って将来を展望する
稲盛和夫 オフィシャルサイト
京セラ太陽光発電事業の歩み
桑野太陽光発電所30周年記念会【動画】
次世代型太陽電池の導入拡大及び産業競争力強化に向けた官民協議会 次世代型太陽電池戦略